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「人間は多様だ。文化も多様だ。それは同時に、集団や個人のもつ能力の差異をはっきり自覚し、認める必要があるということでもある。運動の技術や知的理解力は、近代社会においては数値に換算されることによって、目に見えるものになりやすい。けれども、創造性、感情の分化や統合、集団の統率力や人間関係、物理的・経済的な力、霊性など、人間はさまざまな側面において、その全体的な統一として存在している。それぞれの側面において、個人がどれだけの力を持っているかは違う。そういう力の違い―「特権(ランク)」とミンデルは呼ぶ―に対して無自覚なら、問題を引き起こすことになるだろう。特権の無自覚は、ただちにその乱用につながるからである。
 政治的・経済的力に欠け、周縁化されている階級や集団は、そのことを強く主張しなければ、つねに無視される。政治的、社会的主流派が『上品』で理性的なコミュニケーションの様式を要求するなら、それは無視したいという意思表示のメッセージになる。なぜなら、そういう力の欠如や貧困に苦しんでいる当人ではないし、口ごもりがちに、あるいは叫びとともに発せずにはいられないメッセージに目をつぶることは、主流派のみに可能だからだ。精神的な力についても同じだ。困難を乗り越えることによって、人はより大きな心理的な力をもつ。けれども、そのことがはっきり自覚されなければ、心理的なランクは、他者の痛みや苦しみに対する無関心をもたらす。
 大切なのは、どの個人も自己の中に、多層的な力の違いから生まれる痛みや傷を、多かれ少なかれ持っており、たいていの場合、それを、支配や抑圧を正当化する言い訳として使っているということだ。自己の中には、犠牲者と抑圧者の両方がつねに存在している。復讐への欲求の炎がおさまらなければ、他者への思いやりや慈愛は生まれない。そして、この力の不均等は、政治的・階級的対立と結びつきながら、文化の社会構造として世界に広がっている。力を自覚し、その差異を明晰に理解することをつうじて、自己の内部の犠牲者と抑圧者を解放することなしに、世界の平和はない。」(日本語版読者のためのまえがき・永沢哲)
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Thoughts on スポンサーサイト「紛争の心理学」②

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